なぜちいさな幸せを探すことにしたのか
ある日思った。私10億円あってもあんまり幸せじゃないかも、と。
きっかけは通勤電車の中にあった広告。
たしか、10億円あったらと考えたらあなたの本音が見えてくる、みたいな本の広告だったと思う。
で、通勤に1時間くらいかかるから、しばらく考えてみたのだ。
私は10億円あったら何をするかな?と。
はじめはちょっと楽しかった。
ワードローブを一式いいものにしよう。バーバリーのトレンチコートにカシミアのセーター。
長く使えるものにしよう。
それから旅行に行こう。ギリシャの海を見ながら、ワインとチーズを堪能しよう。
仕事をやめよう。
フリーランスになって、悠々自適に暮らそう。
海外に別荘を買おう。海辺で。家でバーベキューパーティーを開けるようにしよう。
うん、悪くない。
でもまだ会社に着くまでに時間があったのでもっと深く想像してみた。
そしたら、ギリシャの海を見ながら仕事相手にどう思われてるか考えてる自分がいた。
はじめてトレンチコートを着ていくときに、自分がイケて見えるか考えてる自分がいた。
別荘で、海を見ないでどことない孤独を埋めるために自己啓発本を読んでいる自分がいた。
10億円もってる世界でも、まだ私は幸せを探してたのだ。
ちょっといい物を着て、いい暮らしをしている以外はあんまり変わっていなかった。
完全に満たされた気持にならないと、物や事だけでは満たされないんだ。
だけど想像の中でちょっと楽しい瞬間もあった。
カシミアのセーターの着心地にうっとりしているとき。
海を見て、何も考えずボーッとしている瞬間。
バーベキューに集まった人に何を思われているかなんて考えずに、酔ってそのときを楽しみ笑っている瞬間。
たしかに幸せはあった。
でもその幸せの総量は結局、ユニクロのステテコを履いたとき。ベランダで風を感じたとき。居酒屋で飲んだ時。
今の総量と変わらなかったのだ。
じゃあ、今総量を増やすことも、できるってわけだ。