【ちいさな幸せ5】いらない服を寄付してみる
私はカンボジアで1平方メートルの土地の地雷の撤去をし、
ラオスで1平方メートルの不発弾撤去をし、
ウガンダで元子ども兵社会復帰支援センターでの給食2食分を提供した(らしいw)。
なにも飛行機に乗って世界を飛び回っているという話ではない。
ボランティア団体に服を寄付したのだ。
服といってもたいした服じゃない。
さし色コーデ(笑)のために買った、アメリカのアイスみたいなドピンクのカーディガンとド水色のカーディガンや、
着ると不思議と顔色がくすむ、薄桃色のモテ系ノースリーブ。
スノボで転んで首の骨を骨折した(ように見える)、オフホワイトのざっくり編みタートルセーター。
クローゼットの中にあっても(本当に買っておいた分際で申し訳ないんだけど)
テンションが上がらなかった服達だ。
服を捨てるって悲しい。なんかかわいそうになる。
それは多分捨てられるものに自分を重ねてしまうから。(これってメンヘラなのかなw)
例えるなら、ずっと愛用している服は、キラキラして気配りができて明るくてみんなに愛されている子で(注:着回しがきくってこと)。
どこのクローゼットにいっても愛されて、高い市場価値がつく。
だけど、トレンドの波に流されてなんかいまいちになっちゃった服は、さえなくて捨てられちゃう。
自分らしさもしらず、世間の顔色伺って派手になってみたり、無い個性を作ってみたりして。
愛されようとしたのに、愛されずに捨てられちゃう。
だけど捨てることでもし誰かが幸せになれるなら、そんな服たちもちょっとは幸せかもしれない。かわいそうだけど、報われるかもしれない。そう思いながら段ボール箱に同士たちを詰めて、佐川のおじさんに引き取ってもらった。
正直本当に寄付されているかも分からないし、誰かが幸せになってる保証もないけど。
それでもただ捨てるより、ずっと罪悪感がない。
というかなんか買うより、満たされた。
別に私はいい人間ではないけど、地雷を撤去して不発弾を撤去し2食分の給食を提供したことを思い出すと、亡き同士たちを思い出してちょっと胸があたたかくなる。