なんでもない会社員の引き寄せ日記

ご飯を食べても、誰かと寝ても、何か満たされない。海外旅行に行ってもどこか不安。他人の人生を生きていたOLですが、「小さな幸せ」を見つけることで少し様子が変わってきた気が…。

【ちいさな幸せ1】無駄に広いベランダにリラックススペースを作ってみる

うちの家は駅から15分とアクセスは微妙だし、少々治安の悪いエリアだ。

だけどベランダだけは人間二人がヨガを出来るくらいのスペースがある。

いつも部屋ぼしするので、こんなにベランダが広くてもなあなんて思ってたが、

ある日活用してみようと思い立ったのだ。

 

活用方法は、こうだ。ベランダにテラステーブルを置いて、軽くお茶を飲んだり、

本を読んだりする。人工芝をひいて裸足で出られるようにする所もポイントである。

急に思いついたんだけど、考えてみるだけでわくわくする。うん、これは幸せな気持ちだ。

 

なんでこんなことを考えたんだろうと思った。考えあぐねた結果、多分映画の影響だ。

スピルバーグ監督のビッグフィッシュという映画があって、映像が綺麗でストーリーもベタに感動できるので

何回か見ている。最近もそれをみた。相変わらずとても好きなシーンがあった。

それはスペクターという町。町中が芝なので裸足で歩ける。

みんな靴を履かずに、夜になると躍る。昼間もだらだら過ごす。天国のような町なのだ。

安直だけど、その町にずっと幸せの影を見てたんだなあ、と、思った。

 

出来上がったベランダのリラックススペースは、風が心地いい。

私の部屋からは意外と空も見える。この都会にありながら、家の前にマンションが建っていないということに感謝の気持も芽生えた。

 

計1万円ちょっとで出来上がった。人工芝パネルが4000円くらいでテラステーブルとチェアが8000円くらいだったかな。

そこらのカフェよりずっと気持ちがいいし、他の客はいない。

出来たてのベランダスペースで朝トーストを食べて昼サラダを食べて夜もサラダを食べた。入り浸りすぎw

 

1万円ちょっとの出費は少しいたかったんだけど、会社で急遽臨時賞与がでるらしい。

幸せなことを引き寄せたってやつ??w まあ悪い気はしない。

なぜちいさな幸せを探すことにしたのか

ある日思った。私10億円あってもあんまり幸せじゃないかも、と。

きっかけは通勤電車の中にあった広告。

たしか、10億円あったらと考えたらあなたの本音が見えてくる、みたいな本の広告だったと思う。

で、通勤に1時間くらいかかるから、しばらく考えてみたのだ。

私は10億円あったら何をするかな?と。

はじめはちょっと楽しかった。

ワードローブを一式いいものにしよう。バーバリーのトレンチコートにカシミアのセーター。

長く使えるものにしよう。

それから旅行に行こう。ギリシャの海を見ながら、ワインとチーズを堪能しよう。

仕事をやめよう。

フリーランスになって、悠々自適に暮らそう。

海外に別荘を買おう。海辺で。家でバーベキューパーティーを開けるようにしよう。

 

うん、悪くない。

でもまだ会社に着くまでに時間があったのでもっと深く想像してみた。

そしたら、ギリシャの海を見ながら仕事相手にどう思われてるか考えてる自分がいた。

はじめてトレンチコートを着ていくときに、自分がイケて見えるか考えてる自分がいた。

別荘で、海を見ないでどことない孤独を埋めるために自己啓発本を読んでいる自分がいた。

 

10億円もってる世界でも、まだ私は幸せを探してたのだ。

ちょっといい物を着て、いい暮らしをしている以外はあんまり変わっていなかった。

 

完全に満たされた気持にならないと、物や事だけでは満たされないんだ。

だけど想像の中でちょっと楽しい瞬間もあった。

カシミアのセーターの着心地にうっとりしているとき。

海を見て、何も考えずボーッとしている瞬間。

バーベキューに集まった人に何を思われているかなんて考えずに、酔ってそのときを楽しみ笑っている瞬間。

たしかに幸せはあった。

でもその幸せの総量は結局、ユニクロのステテコを履いたとき。ベランダで風を感じたとき。居酒屋で飲んだ時。

今の総量と変わらなかったのだ。

じゃあ、今総量を増やすことも、できるってわけだ。

ちいさな幸せとは

ここ3年ほど、自己啓発やスピリチュアルの類の本は100冊くらい読みあさった。

何冊も読んでいくと、各本の述べていることに共通項が出てくる。

それは「幸せになるには、幸せにならなければいけない」ということ。

それは金銭的に、物質的に、豊かになることとイコールではない。

お金を増やしたり、ものを買うことは幸せへの道ではあるけれど、必ずしも「幸せ」そのものではないこと。

大事なのは自分の内面が「幸せ」を感じるかどうか、というようなのだ。

 

自分が(本当に)好きなことをして、幸せな気持でいることが幸せになることなのだそうだ。

(本当に)と書いたのは,私たちは自分にすらウソをついていることがあるから。

私も、多くの人も、こんな服着たらかっこいいかな、こういうことしたら親が喜ぶかな、なんて考えを持って何かをしていることが多いのだ。

で、「これが自分が好きなこと」と自分に思い込ませることで、その行動の頻度を意図的に増やす。

だけど本質は好きなことではないから、心は泣いている。

たとえばこんな感じだ。

 

仕事で忙しい。だけど私はばりばり働く毎日を充実してると感じてる。

本当に?毎日終電間際まで働いて、疲弊して、家賃を払うのにやっとの給料しかもらえてない。

もっとラクしたくない?もっとお金ほしくない?そんな本音にふたをしてるうちに、本当に「充実してる」と思ってしまう。

無理なポジティブ思考はある日突然破綻する。

たとえば上司に怒られて落ち込んで進まない残務を夜中こなしているときに。

あるいは明るくかわいい知人が定時上がりで好立地のマンションに住み、海外出張をしてることを知った時に。

私、何やってるんだろう。私って何なんだろう。ずっと力ずくでかぶせていたふたにみしみしヒビが入るのだ。

 

まずはこんなウソをついている可能性があることに気づく事。

そして、本当に幸せなことを見つけて、ただそれをなるべく多くして、そこで感じる気持ちをどんなシーンでも持てるようにすること。

ジョイとか、ゾーンに入るとか、愛、とか、様々な本にそんな言葉で表されているのが、この気持ちらしいのだ。